日新堂について
日新堂の由来
その名称は、幕末期、南部藩で最初に設立された私立の洋学校に由来。最後の盛岡藩主となった南部利剛は学問の普及に理解を示した。文久3年(1863)、近代製鉄のパイオニアとして知られる大島高任や医師の八角宗律ら22名の学識者の要望に答えて、西洋医学、西洋学問、精錬、砲術を研究する新学校を城下の東郊外、東中野新山館に開設することになった。
日新堂はあくまで私学校であるが、盛岡藩は苦しい財政の中、5年計画で五百両の予算を与え、西洋医学はもとより新しい国産品の開発、火砲の精錬工場などの研究を進めたのである。科学機器や標本、船来資料を展示公開し、盛岡で初めての科学博物館的施設となった。
利剛はこれを「日新堂」と命名した。
日新堂の理念
理念
質の高い医療・保健・福祉の提供を通して社会の発展に貢献する
- 住民の住民の健康維持・増進のため地域連携を密にし、利用者様の医療と福祉の向上に努める
- 利用者様の安全・安心を大切にし、医療事故防止及び院内感染防止に努める
- 利用者様の権利を尊重し、良くお話しを聞き、親切な説明に努める
- 教育・研修に励み、知識と技術の向上に努める
- 疾病の早期発見と生活習慣病の予防を図り、健康の総合的なサポートに努める
- チームの一員として互いに協力し合い、情熱をもって前向きに行動できる人材を育て、時代の要請に応える
- 地域における中核的存在として、医療・保健・福祉のみならず、地域の雇用や経済への貢献をしていく
目標
- 誠実な利用者対応
- 最善のサービスを支える経営基盤の確立
- 医療・保健・福祉を通しての従業者の人格向上